1文字ずつでなく面で書くAI──商用スケールの拡散言語モデルMercuryとは
米Inception Labsは、テキストを1トークンずつ順番に生成する従来の自己回帰方式でなく、画像生成AIと同じ拡散(diffusion)方式で文章を生成する「Mercury」を発表した。公式サイトによるとNVIDIA H100上で毎秒1,000トークン超、GPT-4o MiniやClaude 3.5 Haikuを品質で上回りながら最大10倍高速だとしている。

目次
3行まとめ
- Inception LabsのCEO Stefano Ermon氏が発表した「Mercury」は、画像・動画・音声生成AIで広く使われている拡散(diffusion)モデルの手法を、初めて商用スケールでテキスト生成に応用したモデルだと公式サイトは説明する。
- 従来の自己回帰型LLMがトークンを1つずつ左から右へ生成するのに対し、拡散モデルは「ノイズから徐々に洗練させる」粗→精細(coarse-to-fine)方式で複数トークンを並列に改善していく。公式サイトはこの方式によりNVIDIA H100上で毎秒1,000トークン超、最速で従来の高速特化型LLMの最大10倍の速度を実現したとする。
- コード生成に特化した「Mercury Coder」は、公式サイトが公開したベンチマーク表で、GPT-4o MiniやClaude 3.5 Haikuなどの高速特化型モデルを複数の指標で上回りながら、スループットは毎秒1,109トークン(Mercury Coder Mini)に達している。
なぜ「拡散」なのか
Inception Labsの公式サイトは、現在の主要なLLMが「自己回帰(autoregressive)」方式、つまりテキストを左から右へ、1トークンずつ順番に生成する仕組みである点を出発点として説明する。この方式では、あるトークンを生成するにはそれより前のすべてのテキストが生成済みでなければならず、本質的に逐次処理にならざるを得ない。さらに各トークンの生成には、数十億パラメータのニューラルネットワークを1回評価する計算コストがかかる。フロンティアのLLM各社は、推論時によりコンピュテーションを費やす「テスト時計算(test-time computation)」によって推論力・誤り訂正力を高める方向に賭けているが、長い推論トレースを生成することは推論コストの膨張と実用に耐えない遅延という代償を伴う、と公式サイトは指摘する。
これに対し拡散モデルは、「粗→精細」の生成プロセスを取る。出力はピュアなノイズから始まり、数回の「ノイズ除去(denoising)」ステップを経て徐々に洗練されていく。公式サイトは、拡散モデルが直前までの出力のみに縛られないため推論や応答の構造化に強く、また出力を継続的に洗練できるため誤りやハルシネーションを訂正できると説明する。この特性ゆえに、拡散はSora・Midjourney・Riffusionをはじめとする、動画・画像・音声生成のほぼすべての主要なAIソリューションを支えているが、テキストやコードのような離散データへの拡散モデルの応用はこれまで成功してこなかった、と公式サイトは位置づける。Mercuryはこの応用を初めて商用スケールで実現したと謳っている。
Mercury Coder──毎秒1,000トークン超
最初に一般公開されたdLLM(diffusion LLM)である「Mercury Coder」は、コード生成に特化したモデルだ。公式サイトによれば、現行世代のLLMと比べて5〜10倍高速でありながら、低コストで高品質な応答を提供するとしている。開発の土台には、創業者らが画像向け拡散モデルの先駆者であり、Direct Preference Optimization(DPO)・Flash Attention・Decision Transformerといった生成AIの中核技術を共同発明した経歴があると紹介されている。
dLLMは、通常の自己回帰型LLMの「ドロップイン代替」として、RAG・ツール利用・エージェント的ワークフローを含むあらゆる用途をサポートするという。クエリを受け取ると、1トークンずつ答えを生成する代わりに、Transformerモデル(拡散過程でのノイズ除去を担うニューラルネットワーク)が複数のトークンを並列に修正しながら、粗→精細に回答全体の品質を高めていく。
ベンチマークの数字
公式サイトが公開しているコーディングベンチマークの比較表(Mercury Coder Mini・Mercury Coder Small・Gemini 2.0 Flash-Lite・Claude 3.5 Haiku・GPT-4o Mini・Qwen 2.5 Coder 7B・DeepSeek Coder V2 Liteの7モデル比較)から、主な数字を抜粋する。
| モデル | スループット(tokens/sec) | HumanEval | MBPP |
|---|---|---|---|
| Mercury Coder Mini | 1,109 | 88.0 | 77.1 |
| Mercury Coder Small | 737 | 90.0 | 76.6 |
| Gemini 2.0 Flash-Lite | 201 | 90.0 | 75.0 |
| Claude 3.5 Haiku | 61 | 86.0 | 78.0 |
| GPT-4o Mini | 59 | 88.0 | 74.6 |
| Qwen 2.5 Coder 7B | 207 | 90.0 | 80.0 |
| DeepSeek Coder V2 Lite | 92 | 92.1 | 81.0 |
公式サイトは、この結果を「Mercury Coderは、GPT-4o MiniやClaude 3.5 Haikuのような速度特化型の自己回帰モデルの性能をしばしば上回りながら、最大10倍高速」とまとめている。表の通り、HumanEval・MBPPのスコア自体は他モデルと拮抗する水準にとどまる一方、スループットの差は際立っている。速度特化型の自己回帰モデルでもせいぜい毎秒200トークン程度が上限だったのに対し、Mercury CoderはコモディティのNVIDIA H100上で毎秒1,000トークンを超え、5倍の向上を実現したという。フロンティアモデルの中には毎秒50トークンを下回るものもあり、それらと比べると20倍以上の高速化になるとしている。公式サイトはさらに、この種のスループットはこれまでGroq・Cerebras・SambaNovaといった専用ハードウェアでしか達成できなかった水準であり、Mercuryのアルゴリズム的な改善はハードウェアの高速化とは独立して積み重なると説明している。
後継モデル「Mercury 2」──実際に公式ブログを確認した
初代Mercuryの発表ページには「Mercury 2」への言及(無料トークン提供のバナー)があったが、これを放置せず、実際にInception Labs公式ブログと現行の「Our Models」ページを確認した。
公式ブログ「Introducing Mercury 2」(著者:CEO Stefano Ermon氏)によれば、Mercury 2は「世界最速の推論言語モデル」と位置づけられ、初代と同じ拡散方式をベースに、複数トークンを並列に精緻化する仕組みを踏襲している。公式ブログが示す仕様は次の通り。
| 項目 | Mercury 2の仕様 |
|---|---|
| 速度 | NVIDIA Blackwell GPU上で毎秒1,009トークン |
| 価格(入力) | 100万トークンあたり0.25ドル |
| 価格(出力) | 100万トークンあたり0.75ドル |
| コンテキスト長 | 128K |
| 主な機能 | 調整可能な推論(tunable reasoning)・ネイティブなツール利用・スキーマ準拠のJSON出力 |
現行の「Our Models」ページを2026年9月4日に取得すると、掲載されているのはMercury 2.5 (Preview)(ページ上部に「Mercury 2.5 (Preview) is live on OpenRouter」の告知)とMercury 2の2つで、初代Mercuryと「Mercury Edit 2」は脚注に回っている——「Mercury 1 and Mercury Edit 2 remain supported for existing customers. For access or migration guidance, contact your Inception representative.(Mercury 1とMercury Edit 2は既存顧客向けにサポートを継続する。アクセスや移行については担当者に連絡してほしい)」。つまりEdit 2は併売ではなく既存顧客限定の扱いで、コンテキスト長の記載も同ページには無い(Mercury 2側は128Kと明記)。またMercury 2は「GPT-5.2やClaude Sonnet 4.5と並ぶ知性を持つ」と自己申告している(この比較の詳細なベンチマーク条件は公式サイトのこのページでは示されていない)。
Mercury 2はMicrosoft Azure AI Foundry上でも利用可能になっており、Inception Labs公式ブログはこれを「Inceptionの拡散アーキテクチャとAzureのエンタープライズ向けインフラを組み合わせた」提供形態だと説明している。顧客事例として、コードエディタのZed、広告技術のViant、音声書き起こしのWispr Flowなどの導入コメントが公式ブログに掲載されており、この発言をしているのは列挙した3社ではなく、Skyvern社のCTO兼共同創業者Suchintan Singh氏で、「Mercury 2はGPT-5.2より少なくとも2倍速い」とコメントしている(これは顧客の発言であり、Inception Labs自身が実施した第三者検証済みベンチマークではない)。
Mercury 2とGPT-5.2の速度比較は顧客の発言であって独立検証ではない
- 本記事はInception Labs公式サイトの発表ページ4本(初代Mercury発表・Mercury 2発表・Our Modelsページ・Azure Foundry発表)を実際にcurlで取得して書いている。ベンチマーク数値・価格・仕様はいずれも同社の自己申告であり、独立した第三者機関による再現検証は確認していない
- 初代Mercury Coderの比較表(GPT-4o Mini・Claude 3.5 Haikuなど)は発表当時のものであり、2026年8月時点ではこれらの比較対象モデルも、Mercury自体もすでに後継モデル(Mercury 2)に置き換わっている。本記事は両方の世代を区別して併記するようにしたが、初代の比較表を現行モデルの性能と混同しないよう注意されたい
- 「Mercury 2はGPT-5.2より少なくとも2倍速い」という記述は、公式ブログに掲載された顧客(CTO)のコメントであり、Inception Labs自身が算出した数値でも、第三者ベンチマークでもない
- Mercury 2が「GPT-5.2やClaude Sonnet 4.5と並ぶ知性を持つ」とする記述も、公式サイトの自己申告にとどまり、具体的な評価指標・スコアは今回確認したページの範囲では示されていなかった
- 日本語圏でのMercury(商用製品)の紹介記事は、元調査の時点でZenn検索3件がいずれも学術論文(Large Language Diffusion Models)の紹介にとどまり、商用製品そのものを扱う記事は確認できなかったとされている
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